2019年02月12日
更新日 2023年02月10日
これまでの記事ではデータのグラフ化や、データビジュアライジングに関わりのある人物を取り上げてきました。今回からテーマにするのはインフォメーションデザインの中でも、サインデザインと呼ばれている分野のお話です。
突然ですが、ピクトグラムという言葉を聞いてどんなものか思い浮かべられる人はどれくらいいるでしょうか?
言葉自体は聞いたことがあったり、なんとなくあれかな?と思い浮かべられた方は結構いらっしゃるかもしれません。ピクトグラムとは、非常口やトイレのマークで使われる人型の絵文字です。最近はピクトグラムなどを扱う書籍なども増えてきましたので、認知度も少しづつ上がってきたように思います。
しかしながら、実際何を指してピクトグラムというのか?例えば、ロゴやアイコンとして使われる絵文字などと、どう違うのか?ということを深く理解している方は多くはないのではないでしょうか?
というわけで今回から複数回にわたって、グラフィックサインの中でもピクトグラムについて、そのはじまりから歴史を辿って、最終的には現在のピクトグラムを取り巻く状況までを調べていきたいと思います。大きなテーマですので、調べていくことでインフォメーションデザインとして重要なことをたくさん発見していけるのではないかと考えています。
では第1回目は、“ピクトグラム”とはそもそもいったい何なのか?
ということを、その始まりから考察していきたいと思います。
トイレや非常口を表す人型のマークは街中いたるところで目に入りますね。こういった人型のサインのことを “ピクトグラム” と呼ぶのは前述の通りです。
非常口マーク/Wikipedia
ではピクトグラムというのは人型の絵文字のことを指すのでしょうか?
それを考える前に、まずはサインという言葉から始めたいと思います。
“サイン(sign)” とは合図やしるし、記号などと日本語では訳されます。
その幅広い意味ゆえにサインはあらゆる場面で登場します。例えば、前述のトイレなどの絵文字もサインですし、街中の道路標識、自動車などの機器に付いている操作ボタンや衣類のタグについている洗濯方法を表す記号もサインです。
時代を遡ればそもそも人類は文字ができる以前は絵文字というサインを用いていました。旧石器時代のものとされるフランス南西部ラスコーで見つかった洞窟の壁画や、ナポレオンのエジプト遠征で発見されたロゼッタストーンなどに描かれた象形文字などです。
日本でも戦国時代、家紋というしるしは戦で敵か味方かを判別するサインとして使われました。現代では企業のロゴマークやネオン輝く看板などが一目でどの会社か、どのお店かを伝えるサインとなっています。
またこれらは視覚から入ってくる情報ですが、もちろん聴覚や触覚など他の感覚で受け取ることもあります。さらには、ヒトだけでなくその他の自然生物がサインを出していることもあります。こうやって考えていくとサインという言葉を一言で言い表すのは難しそうです。
日本のピクトグラムに関する第一人者でピクトグラムに関する書籍を多く出しているデザイナーの村越愛策氏が自身の著書『絵で表す言葉の世界』の中で、サインというものを一言で言い表すのは大変難しいと前置きした上で、サインについてこう書いています。
“サインとは「情報の受け手」である私たちがそれを知覚するかしないか、といった問題なのかもしれません。” *1/p24
少なくとも受け手が何かを受け取り、理解や利用されるそういったものをサインと呼んでいるという理解は間違ってはいなそうです。
それではピクトグラムとサインの関係はどうでしょう?
ピクトグラム(pictogram) は日本語では「絵文字」、「絵ことば」または「視覚言語」と訳すことが多いようです。pictureという“図や絵”という意味とgramという“書かれたもの”という意味が組み合わされたものです。
ちなみにピクトグラフ(pictograph)という言葉も出てきますが、graphは書くための機器(あるいは記録するための機器)のことなので絵文字に対してはピクトグラムと呼ぶのがよいようです。
そしてピクトグラムは普段目にする身の回りの状況からも推測できるように、サインの役割があります。つまり包括的にはピクトグラムはサインの中の一つと考えられます。
言い換えるならば、ピクトグラムはある特定の意味や性質を持ち、対象者に対して何かを知らせるために作られたサインであると言えます。
では実際にピクトグラムがどのような意味や性質を含んだサインなのかを、いくつか資料を引用しつつ、紐解いていきたいと思います。まずは先ほど紹介した村越愛策氏の同著書からの言葉を見て見ましょう。
“ピクトグラム - 具象や抽象といった簡略化された図形に文字も加えて、言葉という障害を超えてある意味を伝えようとするサインです。行動や行為を規制したり促したりする機能も持ち、人間行動に直接的な働きを持つものですが、ある程度は前もっての学習を必要とするものです。それは公共の場、さらに職場や家庭においても、欠かせない案内や安全などを表す大切な視覚伝達手段です。” *1/p20
非常口のマークデザインに携わった太田幸夫氏の著書 『ピクトグラム[絵文字]デザイン』 では、ピクトグラムの特徴をこう記しています。
“ グラフィック・シンボル (#a) の典型であって、意味するものの形状を使って、その意味概念を理解させる記号 –中略– 事前の学習なしでも、即時的、国際的にわかる伝逹効果 ” *2/p18
#a グラフィックシンボルとは図記号と言われ、太田氏はピクトグラムをグラフィックシンボルの一つと考える。そしてグラフィックシンボルではあるが、ピクトグラムでないものも存在すると書いています。例えば数学記号の+, −, ×, ÷などです。
公共施設での標識などのサインを管理している国土交通省はウェブサイトでこのように説明しています。
“案内用図記号(ピクトグラム)とは、不特定多数の人々が利用する公共交通機関や公共施設、観光施設等において、文字・言語によらず対象物、概念または状態に関する情報を提供する図形です。視力の低下した高齢者や障害のある方、外国人観光客等も理解が容易な情報提供手法として、日本を含め世界中の公共交通機関、観光施設等で広く掲示されています。” *3
これまでの説明の中で共通点をいくつかまとめてみるとピクトグラムというのは
少なくともこういったところの共通意識が見て取れます。
日本でピクトグラムが広く普及するきっかけとなったのは、1964年に開催された東京オリンピックです。当時日本は高度経済成長期の真っ只中でしたが、外国からの来訪者という点ではまだまだ国際的に見ても少なかった時代です。そのため街中の案内板などは「お手洗い」や「食堂」などほとんどが日本語で書かれたものでした。
当然オリンピックが開催されると、世界90ヶ国以上の国からの来客者が一気に訪れることになります。対策は急務でしたが、言語の違う国から来るということは表記に英語だけを追加すればよいというものでもありませんでした。
そんなオリンピックまであと4年と迫った1960年、オリンピック組織委員会の中でデザイン懇話会が設けられました。そこで美術評論家の勝見勝(まさる)氏がオリンピックのデザイン専門員の座長に選ばれました。勝見氏は
"地球のあらゆる地域から人々が集まり、さまざまな言葉が飛び交う国際行事では、たとえ公用語が決まっていても視覚言語の役割は大きい” *1/p69
として「デザイン計画はすべてそれに基づく」というポリシーに沿って進めることを提案しました。英語などの公用語だけでなく、視覚言語つまりピクトグラムの重要性を話したのです。勝見氏は日本の紋章からこのアイデアの発想 を得たといいます。
こうして勝見氏の元に集まったデザイナーたちが、文字に変わる多くの “絵ことば” を考案しました。ちなみに勝見氏はこの時制作されたモノを、絵ことばと呼んでいました。
作成されたピクトグラムは、オリンピックの「競技種目」を表すモノから「トイレ」や「公衆電話」など公共施設などで使用されるモノまで含まれていました。またオリンピックの競技種目を表すピクトグラムが体系的に作られたのは、この時が初めてだったためこの広がりを世界も注目しました。スイスで発行されたグラフィック・デザイン専門誌『GRAPHIS』は
“勝見氏を筆頭に作成されたシンボルたちが次の大会にも採用されることによって、万国共通の視覚言語として磨き上げられることを望んでいる” *1/p70
と記しています。実際にその後からのオリンピックは、競技種目を表すピクトグラムの制作に各開催国が力を入れはじめ、ピクトグラムデザインの国際リレーが続いていくことになりました。
東京オリンピックで生まれたピクトグラムたちは、12人のデザイナーが3ヶ月をかけて制作したものです。勝見氏は制作作業を終えたデザイナー達に書類への署名を求めました。それは自分たちが制作したピクトグラムの著作権を放棄する旨が書かれた書類でした。勝見氏はデザイナー達のすばらしい制作物はぜひ今後の社会に還元すべきものだと説き、労いとともにデザイナー達へ考えの理解を求めました。この時デザイナー達が書類に署名し、ここで生まれた絵文字たちの著作権が放棄されたことにより、オリンピック以降も多くの施設で案内表示として採用することができました。勝見氏の決断はピクトグラムの普及を進めた、大きなものだったと言えるでしょう。
世界に目を戻してみると、ピクトグラムの広がりとして重要な出来事は、ある社会学者が考案したピクトグラムのルールです。
それは東京オリンピックが開催される40年以上前の第一次世界大戦終結後の1918年、オーストリア人のオットー・ノイラート(Otto Neurath, 1882-1945)という人物が戦争経済学の第一人者であったことからドイツ、ライプツィヒにある「ドイツ戦争経済博物館」の館長に任命されたところから始まりました。
博物館でもまれである、展示物が大量の戦争経済情報というものを扱う上で、ノイラートは展示の仕方を考えていきました。ここからやがて行き着くのが、ISOTYPEという概念でした。
ノイラートは博物館での経験を基に、母国オーストリアに帰国後、ウィーンに「社会経済博物館」を自ら開館させました。そこでは19世紀に誕生した技術博物館にはじまる博物館史の最先端にあるものと位置付け、モノを持たない博物館としてグラフィカルな統計図を展示の中心に据えることにしました。
彼はこの展示物には読解するためのルールが必要だと考え、教育を受けられない人にもわかるように視覚化する方法を考えました。この独自の手法を「ウィーンメソッド」と呼びます。
このウィーンメソッドは版画家のゲルト・アルンツ(Gerd Arntz, 1900-1988)と大学で数学を修めたマリー・ライデマイスター(Marie Reidemeister, 1898-1986)らの協力を得て、発展させていきました。そして最終的にウィーンメソッドという名は「アイソタイプ (ISOTYPE)」という名に変わり世界中へと広まっていきます。
Isotype (picture language) by Neurath. / Wikipedia
ISOTYPE は“International System of Typographic Picture Education”の頭文字を取ったもので、日本語では「国際絵ことば教育システム」や単に「国際絵ことば」と訳せます。
彼は少なくとも新しい知識を身につけ始める初期段階では、絵はことばよりもコミニュケーションに有効な手段であるということを考えていました。そこで統計などを単に線や棒で表すのではなく、車に関するものなら車のシンボル、産業なら工場のシンボルを使って実際の統計図表に登場させました。また洗練されたこういった絵文字を考案しただけでなく、それらをデザインし適応していく方法も考え出しています。
アイソタイプは、絵文字どうしを繋げることで単に単語的意味ではなく別の意味を表したり、組み合わせてことばを修飾したり、繋げて文章のように意味を膨らませたりできるという点が、アイソタイプがアイソタイプという名を意味する所以でした。
ノイラートは言語に続くモノとして、どの言語とも一致する補助言語として働く視覚表現を、世界基準で必要としていると確信していました。それは多くの言語が交差するヨーロッパで育ったノイラートだからこそ感じたことだったのかもしれません。そしてその目標を担うために考案されたのがアイソタイプでした。
これが今日ではピクトグラムと呼ばれる種類の絵文字の祖としてこの後に続くデザイナー達に視覚言語を表現するキッカケと方向性を示した重要な事例となりました。
ピクトグラムは言葉に続く、ないしは言葉の代わりに活用されるその性質から国際的な広がりを義務付けられたといってもよいと思います。
そのような中で、ピクトグラムの国際的な統一を目指そうとする動きが起こるのは当然の流れだったと言えます。
現在国をまたいで、国際的な統一を目指す専門機関がスイスジュネーブにあります。
国際標準化機構、通称 ISO は工業分野の国際的な規格の策定を行う組織です。(カメラに詳しい人であれば、ISO感度というのを聞いたことがあるでしょう。このISOは国際標準化機構の決めた感度であることを表しています。)
その中で1970年に絵文字(ピクトグラム)の国際統一を図るために、技術委員会(テクニカルコミッティ=TC)が設置されました。この委員会は番号付けされ、TC145と言われています。またその中で案内用のピクトグラムを検討するための分科委員会(サブコミッティ=SC1)が1974年に、その後、安全用のピクトグラムを検討する分科委員会(サブコミッティ=SC2)が1995年に設置されました。ここで案内用や安全用と付いているのは、電気分野、建築、鉄道、製図用などの絵文字はすでに他の部門で体系的な標準化をしていたからです。
日本からは前述の村越氏がISOの会議に出席しています。出席当初から日本の注目度は大きかったようで、それは東京オリンピックでの勝見氏の功績のおかげだと村越氏は語っています。
ISOの規格は現在ではそれぞれ、ISO7001[一般案内用図記号(ピクトグラム)]とISO7010[危険標識・警告標識・安全標識]として規定されています。
案内用絵文字の標準化が世界的にも遅れていた日本ですが、1999年になるとようやく国内での広がりとして 委員会を作る動きが始まります。ここでISOのような役割をしたのが、日本工業規格、通称 JIS です。計画が発足した当時、案内用図記号(ピクトグラム)をJIS規格とするプロジェクトには1,500種に及ぶサンプルの中から高齢者、障害者、外国人など一般公衆に対して、的確に情報を理解しやすいピクトグラムデザインの選定を行ったと言われます。最終的には2001年に125種にまとめられ、さらにその中から審議検討され選ばれた110種がJIS規格として制定されました。JIS規格番号はJIS Z 8210です。ちなみにその中には前述のISO7001から流用されたものもいくつか含まれています。
ここで、ここまでの各地域でのピクトグラムの流れを踏まえて、似たような言葉として使われている、アイコンやシンボルといったものと、ピクトグラムを比較してその違いを考えていきたいと思います。
まず第一にピクトグラムは絵文字を簡略化するという行為がより重要なことの一つです。なぜなら街中で使用するということは、不特定多数の方が目にし利用することになります。その中では人種や性別、年齢に関係なく理解してもらうため、複雑なグラフィックを避け、意味が複数とられにくい端的な情報を届けることが重要であると言う考えがあるためです。
次に、使われる場所に関してもピクトグラムだと街中などの公共の場での使用が多いのに対し、アイコンが活躍する場で多いのは、パソコンなどの電子機器や、インターネットなどの電子空間場が多いです。これは当初よりアイコンがボタンの役割をはたし、使用する人の操作に密接に関係していることが多いのが特徴でしょう。
そしてピクトグラムが重要な要素として持ち合わせているのが国際性です。国際的な統一を目指すというのは、そもそも勝見氏やノイラートがピクトグラムを考える上での出発点であり、今では実際にISOなどの機関が統一を目指し動いています。逆にアイコンはそういった所から始まったものではありません。
またシンボルという言葉については、“目立つもの”という意味が含まれています。例えば日本のシンボルといえば、富士山。パリだとエッフェル塔。そして国旗などは各国を表すシンボルとなります。ピクトグラムはこの“目立つ”という意味が、シンボルほど前面に出る程強調されてはいません。
ただピクトグラムを調べている中で、ピクトグラムの絵文字をシンボルと呼ぶ文献がいくつかありました。例えばアメリカの工業デザイナーであるヘンリー・ドレイファス (Henry Dreyfuss, 1904-1972) が1972年に出版した『シンボルの原典』です。この本はピクトグラムに関する文献の中でもかなり古い部類に入るものです。
これは中国とアフリカの一部を除く世界中で使われている絵文字(約4330種)を旅行、製造、ビジネス、家庭など26分野別に収録した大辞典です。ここではピクトグラムという言葉が使われずに収録されている絵文字は、グラフィック・シンボルと呼ばれています。この理由として推測できるのは、出版された時点ではピクトグラムという言葉が一般的ではなかったということ、そして収録されているものには、道路標識やオリンピックのピクトグラムの他に、音楽記号や地理学で用いる記号などいわゆるピクトグラムの範囲を超えた記号が入っていることから、前述の太田氏が著書でグラフィック・シンボルをピクトグラム以外も含まれていると説明していたのと同じように認識していたと考えられます。
こういったことから、シンボルとは単純にピクトグラムだけでなく、サインとして使われる、絵文字、図などを包括的に指すことを意味していると読み取れます。
絵文字、絵ことば、視覚言語、案内用記号などさまざまに呼ばれてきたピクトグラムですが、このように、その成り立ちや、目的から考えることで、その他の絵文字を使った類似する呼び方とは違うことが、次第にわかってきたかと思います。
最後に、僕の活動の一つとして色々な場所でのピクトグラムのサンプルを集めたPicto-Space(Instagram)を紹介させてください。
現在ドイツに住んでいるということもありどこかに行った際には、できるだけ色々な国地域のピクトグラムを集めて周っています。
主に駅、空港から美術館、複合施設などの公共の場を中心に周りの環境と合わせたピクトグラムの使われ方を載せています。
集めたピクトグラムを比較してみると面白い結果がわかったりします。
例えば、トイレのピクトグラム、そもそも左側が男性のマークなのか女性のマークなのか決まっているのか?といったこと。見比べてみると面白いです。
ヨーロッパという多文化、多言語の中を見て周ると、国境を気にせず行き交い可能な場所としてサインデザインの大きな役割をあらためて感じます。またトイレのピクトグラムのように各地域で同じところや、異なっているところ双方を発見できるのでとても興味深いです。
このPicto-Spaceがサインデザインに携わる方だけでなく、インフォメーションデザインを考える上で何かの力になれればいいなと思っています。
では次回以降はそれぞれのピクトグラムの章について、もう少し掘り下げていきたいと思います。
参考書籍
*1 "絵で表す言葉の世界" - 村越 愛策 / amazon.jp
"図記号のおはなし" - 村越 愛策 / amazon.jp
"世界のサインとマーク" - 村越 愛策(監修) / amazon.jp
*2 "ピクトグラム〈絵文字〉デザイン" - 太田 幸夫 / amazon.jp
"インフォグラフィックスの潮流: 情報と図解の近代史" - 永原 康史 / amazon.jp
"シンボルの原典" - H. ドレイファス, 八木 酉(訳) / amazon.jp
参考文献、参考サイト
*3 "国土交通省 - バリアフリー・ユニバーサルデザイン"
" 国民生活センター - マークあれこれ 第18回 ヨーロッパで生まれ日本で発展 ピクトグラム/PDF"